「大阪写友会」
1946年 ( 昭和21年 ) 創立
全日本写真連盟
大阪府本部大阪写友会支部
指 導 宮本 昭 氏
会員数 14名 ('23年10月現在)
モノクロ写真からカラー写真時代を経て、デジタル写真時代へと急激に変化する写真の世界において「アマチュアフォトクラブ」として自由に楽しく創作に励んでおります。
活動内容
毎月の撮影会、2ヶ月に一回の定例会、そして年に一度 心斎橋ピルゼンギャラリー にて写真展を開催。
その他、一泊撮影会や海外旅行 等、様々な活動を行っております。
指導は、本庄先生、中森先生、笹田先生、松葉顧問より受けておりましたが、現在はベテラン会員の宮本氏にお願い致しております。
70周年を迎えて
2016年 大阪写友会は70周年を迎えました。
そして 2026年には 80周年を迎えようとしております。
70周年の記念行事として 和歌山県加太市~友ヶ島へ 一泊撮影会に行きました。
淡島神社では浜焼きとお酒がとても美味しかったですし、友ヶ島ではまるでジブリの世界に入り込んだようでした。
当時から友ヶ島はラピュタの聖地として既に有名でしたが、実際に訪れてみると少し霧がかって幻想的で 本当に素晴らしかったのを思い出します。
60周年は 記念写真集を作成しました。
次の80周年はどんな楽しい記念行事ができるのか、現在の一番のお酒の肴となっております♪
以下は 70周年 祝宴時に 松葉顧問と日下顧問より会員に贈られた お祝いのメッセージです。
「一枚の写真には時代の記録と人生の記憶がある」
顧 問 松 葉 實
昭和21年に山門氏、酒井氏ほか数人で大阪写友会が設立されました。
戦後復興の時代にあって、幾多の苦難の道を歩み、武長氏、 加古氏、神田氏他、先輩諸氏の努力で今日の基盤が築かれたと言えましょう。
やがて講師として中森三弥氏を迎えその指導を受け、例会場も上島会員の自宅から、江差会館、そして現在の北中道会館と変遷してきました。
今日、平成の時代に入り毎年展覧会を開催できるのも、代表役員 現会員諸氏の頑張りであり、その成果として70周年を迎えました。
この歴史を80年へ向け作品作りに頑張ろう。
「大阪写友会創立70周年に思う」
顧 問 日 下 章
西暦1946年、大阪写友会創立と言えば太平洋戦争に日本が敗戦した翌年、 日本の都市のほとんどが焦土となり食料もなく、 カメラもフィルムも入手困難な時代でした。
このような時代にアマチュア写真団体を創立することの苦労が偲ばれます。
昭和初期からカメラも印画紙、 諸材料も技術の進歩により写真術が簡易化されて、 素人でも手 が出るようになりました。
しかし各地に写真団体もできだしたこの時期に戦争に突入。
写真の楽しみも中断されていました。
終戦後、全日本写真連盟関西本部も1946年に再建され、各地でも写真クラブが相次いで設立されるなどアマチュア写真界も盛んになってまいりました。
2004年 「関西写真年鑑」には「大阪写友会」代表 松葉 實、会員16名で記載があります。
また、1985「年全関西写壇史Ⅱ」でも当時の会員中、松葉 實、宮本 昭、中川通一、中島幸平、 日下 章、亡くなった武長 敬、米沢(敬称略)などが記載されて記録に残っています。
この「活動する写真クラブ」大阪写友会がますます発展し、作品の向上と会員の親睦を深めて 何時までも継続されますことを祈念いたします。
代表ごあいさつ
代表に就任いたしました山下真佐子でございます。
大阪写友会は関西で最も古い写真クラブの1つで、この様な歴史ある会の代表として任命して頂き光栄の至りに存じます。
大阪写友会はアマチュア写真家・写真愛好家の集まりですが、私自身この会を通して写真だけではなく人と人のつながりの大切さを学ばせて頂いております。
私は会員の中では最も若年で、入会するまではもともとカメラを持ったこともなく全くの初心者でした。
そして撮影会に遅刻・欠席することも屡々、会員としていや、ヒトとして決して褒められたものではなくいわゆる「ゴマメ」状態でした。
そんな私ですが、撮影会などに参加すると会の皆さんは優しく楽しく写真やカメラその他、色んなことを教えて下さいます。
思えば、入会時から現在に至るまで本当に皆さんに仲良くして頂いております。
そんな私がこの度、会を守る立場へと相成りました。
どこまで皆さんのお役に立てるかわかりませんが、私にできることを精一杯やっていこうと思っておりますので何卒よろしくお願い申し上げます。
2024年 1月 代表 山下真佐子